クラムド傘下にあらたに設立されるフアナ・モリーナのレーベル名は『Sonamos』
(彼女の2nd album 『Segundo』にも同名の曲があります。)
時は1960年代後半、南米最強のゲリラと呼ばれたトゥパマロスの支持が高まり、その弾圧を軍部に頼り、軍事政権時代となる直前のウルグアイ。
軍事政権の弾圧を嫌い、国民の約17%に相当する約50万人のウルグアイ人が国外に移住したと言います。
『Musicasión』は様々なアーティストたちが参加し、演劇的な要素、詩、即興的な演出そして音楽を融合した舞台。
音楽は60年代の英国のバンド、米国のビート・ジェネレーションの詩の影響を受け、カンドンベ、タンゴ、ジャズ、ボサ・ノヴァなどが融合された、BEATと総称された独自なもの。
その多彩な組み合わせは同時代ブラジルで起こっていたトロピカリアを想起させます。
このコンセプトの立案は偉大なる歌い手、作曲家である、エドゥアルド・マテオと彼の友人で詩人、俳優、演出家のオラシオ・ブスカリアによるもので1969年に四つの異なるプログラムの『Musicasión』が計14回上演され、公演前に収録されたものと上演時の録音で構成されたアルバムとして1971年にリリースされました。
当時、シンガー・ソングライターとして既に敬意を集めていたフアナ・モリーナの父、オラシオ・モリーナはエドゥアルアド・マテオと交流があり、マテオがアルゼンチンを訪れた際には家に来ていたそうです。
マテオは1971年の10月にファースト・ソロ・アルバム『Mateo solo bien se lame』のレコーディングのため、アルゼンチンにやって来ます。
その際に父がマテオ本人から『Musicasión 4 ½ 』をもらって、フアナは子供の頃から聴いていたと言います。
https://www.discogs.com/ja/master/540419-Eduardo-Mateo-Mateo-Solo-Bien-Se-Lame/image/SW1hZ2U6Mzk5MTg5NTg=
このバックカヴァーのマテオの写真はオラシオが撮影したもの。
(以下はフアナのコメント)
最初にこれらの未発表音源を聴いた時、気絶しそうになりました。El Kintoの未発表曲を聴いたショックは数日間消えなくて、
一つひとつの録音には同じくらいの強度があってすべてを聴くのに数日を要したほどです。
どうしてこれほどのものがこんなに長い間、暗闇の中にしまわれていたのでしょう?
このリイシューに際して発売されるフォーマットは2LP(1000枚限定、20ページの厚手のブックレット付)と
2CD(収録曲は2LPと同じ計27曲)の仕様のみで権利上の都合でストリーミングおよびダウンロード販売はないとのこと。
レーベルインフォより